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  <検討したい項目>
 

・『脱富山』で、高岡のプライド復活を図る
・商都高岡のブランド化による世界文化遺産実現
・『ジャポニズムのふるさと高岡』をアピール
・坂下町から高岡大仏が見えるようにする
・まちなか美術館の誘致・白煉瓦銀行の復元
・芸術家の住む街とシルバータウン宣言
・ご当地ナンバー『あいナンバー/高岡ナンバー』の実現
 

 
<『脱・富山』で、高岡のプライド復活>
 
 高岡は、もともと越中の中心都市だった。最初に国府が置かれたのは、伏木の勝興寺近く。その後も、江戸時代や近世でも、独自文化で栄えてきた。戦後の昭和40年代までは、高岡市民は「自分たちは、富山県民と言わずに、高岡市民」を掲げてきた。それだけ、「高岡」という名称に、誇り=プライドを持っていた。しかし、戦後の富山市と競合するなかで、高岡はその地位とプライドが下がり続けていく。そこには、富山市民側の「高岡市さえ無ければ、富山市はもっと発展したはず」「県内に中心都市は県都だけでよい」という強い思いがあり、昭和43年の富山県知事選挙をきっかけに、「知事は、富山市出身者でないといけない」という富山市民のチカラに高岡市民が負けたということがあった。これ以降、今日まで50年以上も、知事は富山市出身者だけが占めるという異常な状況が続いている。また、終戦直後の高岡市は、人口が北信越で新潟市・金沢市に続いて3番目に多い都市だったが、その後は、富山市・福井市・松本市・長岡市・上越市に抜かれて、今では北信越で8番目の都市に成り下がっている。こういった経緯で、いまでは高岡市民の誇り=プライドが、ほとんどなくなったとも言えるだろう。
 高岡の再生は、まず誇り=プライドを取り戻すところから始める必要がある。その為には、かつてのように「自分たちは富山ではない、高岡だ」を、ちゃんと主張できるようにならないといけない。それが『脱・富山』だ。つまり、高岡では富山という名称を使わない。弘前市・郡山市・松本市・浜松市・倉敷市と並ぶような、脱富山で、県都に対応できる都市のプライド復活を目指す。
 
世界文化遺産都市の実現は、商都高岡のブランド化で>
 
 高岡の繁栄は、城下町から始まったが、育てたのは町衆たちである。その為、他所の城下町や県都(政都)などとは明らかに異なる発展をしてきた。その為、「商都」とも呼ばれることが多い。つまり、高岡の文化は 「商都(町衆)の文化」 として分類できる。これは、全国的にも希少価値が高く、ブランドとなる要素が多分にあると考える。
 京都や奈良は、古都というブランド名で世界文化遺産に登録され、鎌倉も暫定リスト入りしている。城下町というブランド名でも、姫路城が世界文化遺産に登録され、彦根城が暫定リスト入りしている。しかし、世界遺産は希少価値が高く、類似のものは認定されないこととなっている。高岡が世界文化遺産を目指すのであれば、どう独自性をアピールするかが求められるのだ。そこで高岡の場合、この商都を冠として頂き、「商都高岡の近世文化遺産群」 として、世界文化遺産入りを目指すべきだと考える。商都というブランド名は、まだ世界文化遺産には、評価されていない。商都というわかりやすい文言を登録名に加えることで、高岡をメジャーにすることができるだろう。
 
<ご当地ナンバー『あいナンバー』『高岡ナンバー』の実現>
 
 高岡の知名度を上げるには、高岡が全国区の都市だという必要がある。その為に、1流都市であれば持っているものを、必ず高岡も持たないとイケナイだろう。例えば、総合大学・都市鉄道・百貨店などがあげられる。そして重要な都市アイテムとしては、ご当地ナンバーを持つことではないだろうか。金沢市では、ご当地ナンバーとして『金沢ナンバー』を実現させた。新潟県では、既存の新潟ナンバー・長岡ナンバーに加えて『上越ナンバー』が、長野県では、長野ナンバー・松本ナンバーに加えて『諏訪ナンバー』『安曇野ナンバー』『南信州ナンバー』が誕生しています。これらの都市に負けない為にも、『高岡ナンバー』の実現を目指すべきだろう。
 これまで『ご当地ナンバー』の実現には、複数都市での申請が必要でした。しかし、2022年4月に申請基準が緩和されました。単独市での申請も可能となり、自動車登録台数の基準も10万台以上、または登録車と軽自動車との合計が17万台以上に引き下げられました。複数市町村で申請する場合も、登録台数が5万台以上、または登録車と軽自動車との合計が8.5万台以上と軽自動車普及に配慮され申請しやすくなっています。
 高岡市の自動車登録台数は約8万台、登録車と軽自動車との合計が約14万台のため、現状では高岡市単独での申請はできませんが、複数市町村で申請する場合の基準は大きくクリアしています。そこで、
更なる規制緩和での『高岡ナンバー』実現を目指したい。たとえば、平成の市町村合併を行った市であれば、複数市町村で申請できる基準で単独市の申請ができるようにするのです。なぜなら、もし、市町村合併をしていなければ、今回の規制緩和で申請できていた可能性があるわけで、救済処置の意味合いも持たせられます。この救済処置による単独申請が実現できないようであれば、周辺都市(最低1市以上)と共同での申請も視野にいれておきたい。その場合、ハードルとなるのが、周辺都市が『高岡ナンバー』の名称に難色を持つ可能性がある点だ。『高岡ナンバー』が難しい場合には、『あいナンバー』というのも選択肢ではないだろうか。近年は、アイトラムやあいの風とやま鉄道など、あいブランドが確立しつつあるのも追い風だろう。『あいナンバー』の実現は、富山県全体にとっても、意義のある事になるとともに『あいブランド』としてもPR効果があると考える。どちらにしても、高岡にとっては『脱富山』の象徴となり、高岡のプライド復活に繋がる要素だと考える。
 

 
 
↓オタヤ通り旧大和百貨店。路面店舗化などにより、百貨店内部の賑わいを、通り側に人が溢れ出す工夫が必要

 
<芸術家の住む街づくりと伝統産業の市街地回帰>
 
 "街は劇場"とも言われますが、高岡のロケーションづくりは、常に舞台として使えるように意識して整備する必要があるだろう。そのためには、地元の富山大学芸術文化学部との連携や街プロデューサー制度を導入して、絵が描ける統一性のある景観づくりを目指すのも重要だと考える。
 更に、小説家や美術家の卵達を全国から誘致して、高岡の中心市街地に住んでもらえるように工夫する必要もある。市中心部の古い民家や空家を、市が買い取る、あるいは借り受けて、安い家賃で貸し出したり、空家の情報提供をインターネットなどで発信していくのだ。特に、金屋町・山町筋あたりには、富山大学芸術文化学部の学生・教授などの居住を進める政策を検討し、御車山祭りなどの古い高岡文化を守るとともに、新しい高岡文化を創造発展させる役割を、担ってもらうことも必要だと考える。
 また、高岡の伝統文化を支えてきた多くの企業が、拠点を郊外に移転してきた。これを今一度、山町筋や金屋町に呼び戻すことも取り組む必要があるがだろう。高岡の伝統産業は、やはり歴史ある街並みにあってこと、価値が高まると考える。
 高岡の中心市街地活性化が進み、そして高岡の景観と文化が、全国区レベルとなれば、高岡を舞台とした映画・ドラマ・小説が増えて来るのではないだろうか。高岡のフィルムコミッション(映画ドラマCMなどの誘致を目指したロケーションコーディネーター機構)は、全国的にみて非常に評価が高く、"街は劇場"という土壌は、整いつつある。高岡を舞台とした作品が増えれば増えるほど、高岡が観光都市へと成長できるであろう

 更に、片原町から金屋町にかけての道路も、改良する必要がある。建物の老朽化が進み、景観が悪くなっているこのエリア(川原町)に、明治期の歴史的な西洋風建築物や欧州の古い建造物を、移築あるいは復元して、異国情緒のある街"かわはらレトロ通り"を整備、歴史景観を意識した街づくりを行い、切れ目のない観光ルート確保を目指す。
 
<富山大学芸術学部の街なかキャンパス実現を>
 
 高岡の歴史文化都市を、全国にアピールするには、発信力の強化は欠かせない。発信力があるのは、やはり若い世代となる。近年は大学の街なかキャンパスが注目されているが、高岡でも街なかキャンパスがあれば、街なかで活動する若者が増えることで、自然と学生が高岡を全国に魅力を発信することが期待できる。特に、富山大学芸術学部の街なかキャンパスが実現できれば、高岡の街なかは活性化が期待できるだろう。



<高岡大仏の魅力アップを>
 
 高岡大仏は、かつては坂下町の下から坂の上を見上げると、真正面に鎮座していた。しかし、大仏を支える台座を新しくした際に、後ろへ移動したことで、坂下町の下からは見えにくなってしまった。奇しくも、大仏が移動した以降、高岡の街は急速に衰退しはじめた。この大仏様を、再び坂下町の下からでも拝めるように左へ移動させたい。そして、坂下町通りは観光散策型通りとして整備を図りたい。市民に好評な坂下町の朝市は、毎週土日に開催するなど、定期市として観光資源化させる。坂下町通りを「大仏表参道」と、愛称をつける必要もあるだろう。
 また観光用「人力車」の導入も目指して、すえひろーど・坂下町・山町筋・金屋町などに走らせるのも面白いだろう。

<御旅屋を観光商業ゾーンに>
 
  御旅屋の旧大和から北陸銀行高岡支店にかけての一体を、伊勢の「おかげ横丁」を参考にして、江戸時代の歴史的な建物を北陸各地から移築・再現を図り、インテリア小物・和菓子屋・漬物屋・郷土物産・飲食・旅館などを扱う商店街 (50店舗程度) を形成させたい。特に、坂を上手く演出として利用し、木曽路の 「馬籠宿」 のような宿場的な雰囲気も取り入れる。坂の中心には、天の川を模したシンボル川を造り、その両サイドに商店街を並べて、それぞれを 「織姫の街」 「彦星の街」 と名づける。商店街は、観光客だけでなく市民の買い物ゾーンとしても利用できる構成とする。

 

↑倉敷の大原美術館
↓坂下町から見えるように、高岡大仏を移動した場合のイメージ

 
 

 
<街全体を「テーマパーク」として捉えよう>
 
 高岡は歴史資産や文化面から見ても、観光都市になれる要素を多分に持っている。しかし、実際はその利点を活かしていない。高岡の活性化は、この観光資源を全国区にすることしか無い。その為には、高山や松本などの隣接観光都市を始め、倉敷や小樽などの遠方観光地なども参考にする必要があるだろう。特に、倉敷の街並整備は注目される。白壁の蔵の街として有名であるが、メインとなる美観地区は、川を挟んで蔵が建ち並ぶ。そこには、車も通れる道があるが、ほとんど車は入ってこない。道は、アスファルトを感じさせない砂風道路。さらに川辺には、ガードレールや縁石はなく、そのまま柳を挟んで川となっている。まるでタイムスリップしたかのように、どこから見ても現代を感じさせないのだ。このような人を中心とした街整備は、いまの富山では出来ないだろう。また、ここには地元名士が立てた「大原美術館」がある。建物自体が歴史的なもの、いまでも大事に使われている。まさに歴史都市に相応しい風景を醸し出している。この美観地区に隣接して、本町・東町がある。ここは、美観地区とは趣きが変わり、格子戸の古い街並が奥深く続いている。こちらも、全く現代を感じさせない昔ながらの風情がある。高岡の町並み整備には、大いに参考となるだろう。
 そこで考えたいのが、街全体を「テーマパーク」として捉える事だ。いかにして観光客を、「街全体で楽しませるか」という工夫が必要なのである。趣が異なる景観を組み合わせて、それが街全体の統一イメージとして表現できれば、観光都市として成功できるだろう。
 
<『ジャポニズムのふるさと高岡』の実現>
 
 高岡のイメージアップには、『商都高岡』に加えて、世界的なキャッチフレーズをつくりたい。それが、『ジャポニズム高岡』だ。明治時代に、美術商として日本の文化をパリを拠点に欧州へ拡めた高岡市出身の『林忠正』
は、まさに『ジャポニズム』の生みの親ともいえる存在。つまり、『ジャポニズムのふるさとは高岡』というのを、新しいPR要素として育てていきたい。そして、欧州からの誘客へと繋げてゆくのです。そのためには、『ジャポニズムコンテンツ』を街なかに整備していく必要があるだろう。
 
<まちなか美術館『ジャポニズム美術館』の実現>
 
 倉敷の「大原美術館」は、日本で最初の西洋美術館として全国に名高く、倉敷観光の目玉ともなっている。高岡の街なかにも、訪れる観光客にとって記憶に残るようなシンボリックな美術館があれば、街は輝きだすだろう。美術館のコンセプトを、西洋に影響を与えた日本美術や、日本文化に影響を受けた欧州美術にスポットをあてた『高岡ジャポニズム美術館』としたい。美術館の設置場所は、現在の北陸銀行高岡支店を候補地として検討したいものだ。現在の北陸銀行高岡支店は、建設されてから50年近く経っており、駅前東街区再開発ビルなどへの移転を検討してもらう。現在の北陸銀行高岡支店が建っている場所は、旧高岡市役所があった場所になる。大正から昭和初期にあった旧高岡市役所は西欧風ゴシック調の造りで、高岡のシンボル的な建物だったと言われている。この旧高岡市役所をモデルに、ジャポニズム美術館の建築デザインを考えたい。
 
<越中高岡 「歴史博物都市"ミュージアムシティ"」>
 
 山町筋は無電柱化されたが、石畳化が難しいようだ。しかし、長浜北国街道などを参考に、歩道は石畳とし、車道は砂風道路とすることを期待したい。また、土蔵造りの家が、近年減ってきている。さらに、歴史を感じない現代的な建物や更地・駐車場となった空き地も目立ってきた。これらを歴史的空間にうまく取込んでいかないと、魅力的な観光地とはならないだろう。あくまでタイムスリップをしたと思わせる空間にしないといけない。そこで、更地は市が買取り、平成の土蔵造りの家として整備して分譲販売する。また現代的な家屋やビルは、外壁や窓枠などを土蔵造り風に見えるリフォームキットを開発して、土蔵造りの街並に切れ目がないようにする必要がある。エアコンの屋外機なども、木枠のキットを開発して目くらましするなど工夫したいものだ。
 
<白煉瓦銀行と土蔵造りの完全復元〜山町筋を醸造所のある街に〜>
 
 高岡が『真の歴史文化都市を目指す』のであれば、かつてあった歴史建造物を復元していく必要がある。高山の古い町並みは、古い建物が途切れる事なく整備されているのが魅力となっている。この高山の古い街並みも、全てが古い建物で構成されているわけではない。古い建物を移築したり、古い建物のように造られたり戦略的な整備が施されている。それは、観光客目線で整備されているからだろう。また、木曽路の『馬篭宿』は、江戸時代の風情が残っているとして外国観光客の人気スポットですが、実は大正14年の大火で、石畳と枡形を除いて全て焼失しているのです。地元の人々の熱意で、時間をかけて宿場町を復元した努力があったからこそ、今の人気に繋がっています。石川県でも、金沢城をできるだけ資料をもとに木造で復元をいまでも続けており、100年後には国宝となることを目指しているといいます。訪れた観光客は、さすが百万石の城下町と感じるのは、地元のプライドと努力があってこその話なのです。
 高岡でも同じように、かつてあった建造物の復元を、時間をかけて行う必要があるだろう。明治から昭和初期にかけては、立派な建物が多かったという。この他にも高岡商工会議所育英小学校など、高岡の繁栄を象徴した建物があった。これらを復元を何らかのカタチで実現したいものだ。特に、山町筋には昔のような土蔵造りが途切れる事のなく整備する事が必要だろう。失われた土蔵造りの『高岡貯金銀行』や、レンガ造りとなった『不動貯金銀行高岡支店』などの建物も、時間を掛けて復元させて山町筋の完全復活をさせたいもの。蘇った土蔵造りには、高岡生まれの高峰譲吉を記念した施設を設けたい。また、新たに酒醸造所・味噌醤油の醸造所・漬物屋などの誘致にも役立てたい。高山のように歴史ある街には、酒蔵や味噌醤油の醸造所が数多く残っている。それが、街の魅力を高めている。だが、高岡の街なかには、醸造所がない。未来へ歴史文化を残していくためにも、平成の醸造所づくりが必要だろう。
 また、山町筋にあった白煉瓦(白亜)の銀行「旧高岡銀行(北陸銀行御馬出支店)」の復元も期待したもの。現在残っている、赤煉瓦の銀行「富山銀行本店」に並ぶ、山町筋の象徴的な建物だった。また、山町筋の西側正面に聳えるように建っていたことから、当時は極めて目立っていた建物だっただろう。赤と白の煉瓦銀行が揃えば、とても縁起の良い『おめでたい』エリアになるはずだ。この復元した白煉瓦の銀行は、山町筋に欠けているレストランやジャスなどのライブハウスとして活かしたい。また、富山銀行の本店が移転したことにより、赤煉瓦銀行は創建当時の1〜2階吹き抜けも復活させて、地ビール園として街の新名所にしたいものだ。更に、老舗の和菓子屋も、今一度、山町筋に集約させて、昼から夜まで歩ける場所を目指したい。つまり、観光客目線の街歩きが楽しい場所に転換させるのだ。
 この他にも、御車山の山車蔵を各山町に土蔵造りで整備を図りたい。現在、宵山ライトアップは、臨時のテントで展示しているが、山車蔵ができれば、すべての山車を各山町でライトアップされる。町の景観も魅力が高まるだろう。山町筋が、切れ目のない土蔵造りの街並みになれば、夜のライトアップも魅力となるだろう。そうなれば、山町筋で泊まりたいというニーズも生まれてくる。新しい民宿などの可能性もありうるだろう。
 
<千保川の河川改修と道路拡幅で、金屋町を散策できる街へ>
 
 金屋町周辺の千保川は、高山の宮川を参考に、川幅を広げ風情のある(散策ができる)空間を目指す必要もあるだろう。また、千保川の上流には『おとぎの森公園』がある。おとぎの森公園から市街地の内免までを、道路拡幅と散策道を整備するのも重要だと考える。おとぎの森公園は新高岡駅にも近く、新高岡駅を起点に、徒歩あるいはレンタルサイクルなどで、周遊観光できることも期待できる。道路拡幅ができれば、コミュニティバスやBHLSなどを走らせることも可能となる。また河川改修によっては、七夕祭りの笹流し(七夕送り)の復活が期待できる。七夕送りは江戸時代から続いている風習であり、伝統の高岡七夕まつりのシンボルとしなければならない。近年行われた、小舟を使った七夕送りの復活と、ライトアップの変わりに、灯篭流しを行うことで地上の天の川を演出させるのです。千保川の改修によって、流される七夕の回収も容易となると考える。
 また、現在見た目にわかりにくい金屋町の入り口周辺を、千本格子の古い町並みが連想される、印象度の高い景観整備を行いたい。例えば、大分県の豊後高田市では、中心商店街を「昭和の町並み」で整備を図り、地元の商店街と同時に、観光スポットとしても魅力的な街へ改造を図っており参考にしたい。
 
<「七夕祭り会館」の建設>
 
  また「七夕祭り会館」(仮称)を、高岡大仏の周辺に整備したい。著名アーティストをプロデューサーに迎え、ニューヨークスタイルのプラネタリウム(円形ホール兼用)を核にしたエンターテイメント性のある施設を考えたい。七夕まつり自体にも、演出アーティストを招くことで、質の向上を図りたいものだ。そして「たかおか七夕まつり」を、三大七夕祭りとして相応しいような全国ブランド化を目指してもらいたい。

 更に、年間を通じてイベントを行う必要もある。特に冬場のイベントが希薄であり、例えば冬のイルミネーションを、「たかおか星座まつり」として演出することも検討すべきだろう。イルミネーションを様々な星座の形で表現して、街を華やかにしたり、ビル壁面や御旅屋アーケードの天井を利用した、映像投射による演出を行うことも検討してもらいたい。そして、夏の「たかおか七夕まつり」と対になるようなイベントとして定着させるたいものだ。
 

↑ 世界遺産ボルドーを走る路面電車

<「観光路面電車」の充実>
 
 将来的には、万葉線の新線(片原町ー昭和町の歩道側に単線を敷設)を検討したい。城端線・氷見線の路面電車化も図り、瑞龍寺・高岡大仏・御車山祭り会館・金屋町・かわはらレトロ街・山町筋・伏木勝興寺・雨晴海岸を路面電車で結び、明治風のレトロ電車・2階建て車両・欧州型LRTなどを走らせて「 観光路線 」とする。
 万葉線には、「FelicaのICカード」を導入して利便性を高める(車両にICカードの読取機を設置)。特に「JR東日本のSuica」を、提携も含めて完全サポートする事で、新幹線開業も睨んだ首都圏からの観光客取り込みを目指す。将来的には県内の各交通機関を、運営統合化(上下分離方式など)することで、「FelicaのICカード」の利用範囲を全県下に広げる。更に、欧州(ベルリンなど)の観光地で見られるような、観光施設や各種ミュージアムの入場券と交通周遊フリーパス(当面は万葉線)を組み合わせた「観光フリーパス」を導入する事で、観光客の利便性を高める。
 
<NHK朝の連ドラ誘致>
 
 また、高岡の地名を全国に売り込む為に取り組みたいのは、著名な連ドラ誘致である。富山県の場合、歴史的な人物や出来事がなく大河ドラマ誘致は難しいものがある。しかし、高岡の街並であれば、朝の連続ドラマ小説の舞台とするこは可能だろう。かつて、昭和60年に、TBSの昼の連続テレビ小説の舞台となった事がある。安田成美主演の「愛の風、吹く」だ。高校でロシア語コースに在学する主人公と、ロシアの外国船員と淡い恋になるストーリー。NHKの連続ドラマの対抗ドラマだった為、いまひとつ話題とはならなかったが、いまのご当地ドラマの先駆けとなるようなものであった。
 そこで、NHK朝の連ドラを高岡に誘致する。また、大伴家持を題材としたNHKスペシャルドラマなども誘致できないか検討してもらいたい。
 


 
<『街なかホテル』と『街なか旅館』の充実>
 
 高岡に観光客を呼び込む大きな課題は、宿泊するホテルや旅館が少ない事があげられる。特に、全国チェーンのビジネスホテルが、高岡の街なかにはほとんどない。近年は、個人の外国人観光客が増えており、ビジネスホテルでの宿泊が目立ってきている。高岡駅から片原町にかけて、『街なかホテル』として大手ビジネスホテル誘致を進めるべきだろう。また、高山などにみられるような『街なか旅館』の充実も必要だ。高岡にある『高岡ホテル』や『角久旅館』の老舗旅館を軸に、新規の旅館誘致も進めて「泊まりたい旅館」のある歴史都市を目指したいもの。高岡駅前にかつてあった『延對寺旅館』の復活や、星野リゾートの『星のや』誘致などを期待したい。
 
<"コンパクトシティ"より"コンセプトシティ">
 
 中心市街地の活性化で、最近流行のように良く言われるのは、「コンパクトシティ」。中心市街地に居住空間を確保して街づくりを中心部に集中させ街の賑わいを取り戻そうというものである。この考え方は、拠点都市ではない"生活重視の中小都市"などでは有効と思われるが、高岡市のような"観光重視を目指す都市"には、あまり適している考え方とは言えない。高岡市の場合は、"コンパクトシティ"という考え方よりも、「観光資源・芸術文化をいかに全国へ発信していくか」、「いかに観光客に印象・記憶に残すか」、そして「住む者に誇りを持ってもらうか」をテーマに街造りをする"コンセプトシティ"という考え方をしていく方が、とても重要なのではないだろうか。
 

↑小江戸と呼ばれる川越市。観光の新名所「菓子屋横丁」。 ↑古い街並み整備が進む、長浜市 「北国街道」。
歩道は石畳化され車道とわかりやすく差別化されている。