「日本海側最大の都市、新潟市」。これが、新潟市のキャッチフレーズとなっている。長年、目標としていた人口50万都市化を、隣接する黒埼町との合併によって、2001年1月に実現させた。まるで、21世紀は新潟市の時代であるかのように。
 そして今、新潟市は、次の目標へと突き進もうとしている。それは、日本海側初の「政令指定都市実現」である。国が強力に推し進めている市町村合併方針も手伝って、合併特例法の期限内つまり2005年春までに、周辺市町村との合併を実現し、人口70万以上を目指すというもの。政令指定都市の基準が、 人口80万以上から70万以上へと大幅に緩和されたのも、後押しとなっている。

 新潟市の人口は、51万6,578人(H13現在)。面積は231.91km2
 江戸時代、新潟市は長岡藩の領土として海運交通の要所となっていた。信濃川と阿賀野川の河口ということもあり米を中心とした取引が行われ、商業の町として発展してきたのである。
 1858年、修好通商条約によって開港された全国5港のひとつとなり、明治維新以後は新潟県の県都として成長することとなる。戦後は、港湾都市ということもあり工業地帯が形成され、日本海側でも、富山高岡地域と並ぶ工業都市となった。昭和30年には、新潟大地震により大きな被害を受けたが、それ以降、新潟県に登場した田中角栄という大物政治家によって、大規模な公共事業が行われてきたのである。新潟市も、角栄氏の選挙区ではなかったものの、多大なる恩得を受ける事となった。
 上越新幹線を筆頭に、関越自動車道・北陸自動車道・磐越自動車道・新潟空港拡張・新潟東港整備(特定重要港湾指定)など、昭和は槌音の絶えない都市として成長を続けることとなる。
 その一方で、新潟市は60万都市構想を掲げていたが、人口はさほど伸びず、21世紀に入り、やっと、合併によって50万都市を達成することとなったのです。
 しかし、いま一地方都市から全国区の拠点都市として、大きく飛躍しようとしている。2002年ワールドカップサッカーの誘致成功や地元資本でのサッカー・バスケットなどのプロスポーツチーム結成など、市民ひとりひとりの意識も変わってきた。
 そして次のステップとして、新潟市の「政令指定都市」昇格が、もう手の届くところまで来ているのです。今回は、都市としての勢いを増してきた"新潟市"を2回にわたって特集いたします。

昭和60年に移転新築された地上18階の新潟県庁
↓現在の新潟市域。市域の殆どが平野部で、川の多さからも水郷都市であることが良くわかる。東西に長細く、面積的にはさほど大きくない。
 市中心部は、信濃川とその放水路そして日本海に挟まれて、まるで島のようになっている事から、「新潟島」とも呼ばれている。
都市名 人口 面積
(旧)新潟市 490,194 205.94
(旧)黒埼町 26,384 25.97
合計 516,578 231.91
 新潟県は、全国でもトップクラスの人口流出に悩んでいる。新潟市は、人口を増やしてはいるものの、そのスピードは非常に遅い。このままいけば、いずれ少子化の中、人口減少へ転じることとなる。
 それを防ぐためには、基礎人口を増やし、政令指定都市という後押しも受けることで、札幌・仙台・広島・福岡のような、地域の中枢管理都市になるしかないと考えるのも、極々自然のことであろう。そして、新潟市はその素養を有していると言える。
 もともと新潟市は面積も狭く、その周辺都市もまた面積が狭い→。合併問題が出てもおかしくない地域と言える。
 今回の合併問題で、新潟県が示した新潟都市圏の合併パターン案は、新潟市を含めた、10の周辺市町村による政令市移行型であった。右の表で言えば、小合計にあたる部分である。他県では、県が示した合併パターンを超えての組合せが殆ど無い。しかし新潟都市圏では、県が示したエリア以外からも、新潟市への編入を求める声が多い。現在は、12の市町村で新潟地域合併問題協議会が立ち上がっている。人口は76万都市、面積は613m2へと膨らむこととなる。他地域の合併では、各自治体のプライドを保つために「対等合併」を選ぶのが多いのだが、新潟都市圏では事務手続きが楽な「編入合併」になりそうだ
 今後も、岩室村や巻町の一部が新潟市への編入を求めるなど、新潟市の人気は高い。特に岩室村は、新潟都市圏域のとなりである三条・燕都市圏域であり、さらに巻町を挟んでの飛び地となる事から異常な状態とも言える。
 またその巻町は、単独を表明しているのだが、町北部で新潟市へ食い込むように位置する四ツ郷屋地区では、新潟市への編入に向けて、住民の活発な運動が行われている。実現すれば、町を分離しての編入劇となり、他の地域へ与える影響も大きいと思われる。
 高岡市でも、新湊市に食い込こんで位置する牧野地区の問題があるが、前例ができれば、こちらへの影響もあるだろう。かつて、高岡市から新湊地区が分離して新湊市になる時、牧野地区の住民は、より大きな都市を選んだ方が得であると考え、高岡市に残った経緯がある。今後はどうゆう判断をするであろうか。
都市名 人口(H14.3.31) 面積(H12.10.1)
新潟市 514,678 231.91
新津市 67,624 78.28
白根市 40,707 77.06
豊栄市 50,288 76.85
横越町 11,239 23.62
小須戸町 10,621 16.91
亀田町 32,695 16.82
味方村 4,562 14.44
月潟村 3,877 9.04
中之口村 6,636 20.16
(小合計) (742,927) (565.09)
西川町 12,660 24.76
潟東村 6,425 23.96
合計 762,012 613.81
 新潟市の動向は、同じように政令市を目指す金沢市や富山市の現状とは対照的である。何故、これほど新潟市は人気なのだろうか。原因は以下のような点が挙げられるだろう。
  1、合併すれば人口70万以上となり、政令市昇格が確定するため
  2、政令市による区行政が行われるため
  3、面積が狭い都市が多く、合併特例法以後の財政基盤も弱いため
  4、先に合併した黒埼町が参考になっているため
  5、県庁所在地になれるため
 新潟都市圏の各市町村は、富山・金沢とは違い、そのほとんどが平野部となる。つまり、それだけ広大な田園地帯を抱える込む事となる為、「田園都市型政令市構想」とも言われている。だが、その具体的な都市将来像は描ききれていないのが実態だ。
 新潟都市圏の各自治体が、新潟市に拘るのは、やはり"勝ち組みになりたい"という思いが、にじみ出た状況だからであろう。
 これからの少子化時代、勝ち残れるのはやはり政令市以上の都市と考えられるからである。同じ時期に新幹線が開通した仙台市は、当時の人口69万都市から100万都市へと成長したのに対して、新潟市では人口46万都市から52万都市にしか成長しなかった。このことが、政令市になれた都市と政令市ではない都市の差でもある。
 いま新潟市とその周辺都市では、政令指定都市を足がかりに、全国でもわずかな"勝ち組み"へ挑もうとしているのです
 既に、北陸ブロックの中枢都市としての片鱗も見せ始めてきた。ここ最近、金沢・富山から新潟へと北陸ブロックの統括事務所を移転させる公共機関・民間企業が増え始めているのです。例えば日本道路公団では、組織再編の流れから、金沢支社と新潟支社を統合して北陸支社を設けたのですが、その設置先は北陸建設局(国土交通省管轄)のある新潟市となったのです。
 新潟市が政令市になれば、その流れは更に加速するのではないでしょうか。
特定重要港湾の新潟西港
 田中角栄という政治家がいなければ、新潟市は今のような発展はしていなかったでしょう。
 もともと上越新幹線も、赤字で苦しむ旧国鉄が反対する中、国策として整備されました。元総理大臣の田中角栄氏がいなければ、上越新幹線より北陸新幹線が先に開通してたのは、間違いないのです。
 東北新幹線も、旧国鉄は仙台までならと主張していたのですが、結局は、元総理大臣鈴木善幸氏の出身地、盛岡まで整備される事となったのです
 利益誘導型政治という悪いイメージで言われたりはしますが、新潟は間違いなく田中角栄氏のおかげである。そして金沢にも、前総理大臣の森喜朗氏がいる。残念ながら、富山にはそういった政治家を生み出す土壌がはなかった。今後も富山県からは、大物政治家が登場する事はないでしょう。
 田中角栄氏は、その当時、建設省・運輸省・郵政省・国土庁に多大の影響力を持っていた。また公団制度を確立して、鉄道建設を促進する為の鉄建公団やニュータウンを増やす為の都市整備公団などを、次々と創設したのである。それは、公共事業と言われるゼネコンにとても強かった事を意味する。地元が求めれば、その殆どが実現した時代があったのです。
 つまり、新潟市には、都市としての機能がほぼ全てあるのです。コンクリートジャングルとも言われる、空港・新幹線・高速道路網・港湾などが、30年以上前から整備蓄積されてきたのです。
 仙台ほど発展しなかったとは言え、これだけのインフラをこれから整備するのは、非常に難しい。既にあるのとないのでは、大きな違いがあります。
政令市指定以後の新潟市は、この角栄遺産を多いに生かす可能性があるのです。その事は、これから激しく競い合う富山や金沢にとっては、とてつもない脅威となるのでしょう。
 上越新幹線が開通して、東京までが110分で結ばれています。開通前が、4時間掛かっていたことを考えれば、まさしく首都圏エリアになったと言っても、過言ではないでしょう。
 角栄氏は更に、オイルショックによる整備新幹線建設凍結以後、北陸新幹線のルートを、当初の新潟県が通らない長野ー富山直通ルートから、上越市経由にルート変更したです。これにより、上越ー長岡間の70キロさえ整備すれば、大阪への新幹線ルートも確保できるようになりました。その結果、北陸新幹線は、高速交通網としてはタブーな"蛇行新幹線"となってしまったのです。もし富山ー長野直通ルートで建設されていれば、富山ー東京間も110分で結ばれていたでしょう。とても残念な事ではないでしょうか。
 角栄氏が関わった主な道路鉄道事業としては、衆議院旧新潟3区を中心に、関越・北陸・磐越自動車道、上越新幹線・ほくほく線(新線)・只見線(全線整備)・在来線の早期電化(信越線・上越線・越後線・弥彦線)などがある。
 政治力の違いは、富山県と新潟県を比べれば歴然としています。富山県は新潟県より30年以上は遅れたと言えるでしょう。
 新潟市は、日本海側唯一の地域拠点空港「新潟空港」←を有している。国際都市を目指すためには、空港の国際化は避けて通れない。
 新潟空港は、第二種空港であり、設置管理者は国(国土交通省)である。1973年、日本海側初の国際線定期便「ハバロフスク線(旧ソ連)」就航を実現した。しかし、1982年の上越新幹線開通以後、新潟空港は東京線を失うこととなり、旅客数を大幅に減らたのです。その後、国内線のローカル路線を地道に開拓し、現在は国内9路線を確保している。
 1996年には、滑走路を2,500メートルに拡張し、ジャンボ機の就航を可能とした。この年、新旅客ターミナルもオープンし↓、国際空港の顔が完成したのである。
 1998年には、立て続けに国際定期便の就航に成功している。この年3月には上海・西安線、6月にはハルビン線、7月にはグアム線、12月にはホノルル線を開設。いまや年間の空港利用者数が、国内線が105万5千人、国際線は19万3千人(H11年)を記録するまで、回復したのである。
 ちなみに小松空港の利用者数は、国内線240万1千人(内、東京線は193万人、国際線5万人)。富山空港は、国内線100万4千人(内、東京線は82万人、国際線7万人)である。
 小松空港・富山空港とも、北陸新幹線が開業すれば、東京線は廃線となるだろう。国内線の空港利用客数は、一気に小松47万人・富山18万人へと減ることになる。そういった意味では、新潟空港がいかに成功しているかが、おわかりいただけるだろう。
 新潟空港は、更に大きな目標を持っている。それは、滑走路延長による3,000メートル化と、海に面している利点を活かした24時間運用化、そして上越新幹線の新潟空港乗り入れ化である。
 実現すれば、全国初の新幹線乗り入れ空港となり、羽田・成田の代替空港的な役割も目指せるのである。勿論、関東北部の利用者も獲得できる可能性を秘めている。
 問題なのは、国の財政危機。公共投資の大幅縮小で、今後、地方空港の整備は後回しにされることとなったからである。しかし、新潟市が政令市になれば、話は別だ。新潟空港にとっても、仙台空港並の整備を、求めて行く事が可能となるだろう。
↓交通網の更なる整備計画が進む新潟市。華やかな整備構想が並んでいる。
 新潟市はとにかく、道路網が素晴らしい。現在、金沢や高岡で建設が進んでいる地域高規格道路も、新潟では15年も前に新潟東西線(旧国道7・8号新新バイバス)が開通済みである。盛り土方式とはいえ、当時としては、高速道路並の道路として驚かされたものである。
 その後も、新潟東西線は西は巻町方面へ東は豊栄方面へ延伸工事が進んでいる。更に新潟東西線のバイバス道路として、日本海東北自動車道が整備され、現在は中条ICまで建設が進んでいる。これにより、(新)新潟市内には、新潟西IC・新潟中央IC・新潟亀田IC・新潟空港IC・豊栄新潟東港IC・新津ICと6つのICが整備されたことになる。富山・金沢が全く及ばない規模である。
 今後も、地域高規格道路網の計画が目白押しだ。市街地を取り囲むとうな路線や中心地を縦断する路線など、全てが開通すれば、政令市に相応しい都市基盤整備が完成する。とりわけ先行的に整備された、信濃川を渡る道路も規模が大きい。

 新潟市の万代橋の隣りには、4車線の一般道路と4車線の地域高規格道路が通行できる、8車線の「柳都大橋」→が昨年開通。更に新潟西港の河口下を潜る「新潟みなとトンネル」↓も地域高規格道路用として4車線で整備された。それぞれにアクセスする地域高規格道路自体の建設は、全てこれからであるが、その規模の大きさに驚かされる。
↓「柳都大橋」中央部の地域高規格道路予定部分は、暫定緑地となっている
 道路網だけでは無い。鉄道事業の目玉として、JR新潟駅周辺「在来線連続立体高架化事業」が計画されている。
 総事業費が、1,200億円(本体工事600億円・駅周辺整備600億円)を超えるビッグプロジェクトだ。これまで、新幹線は高架化であったが、信越本線・白新線・越後線の在来線は、新潟駅へ非高架で乗り入れていた。その為、新潟駅を挟んで東西へのアクセスは、陸橋道路が何本も整備されてはいるが、都市機能としては、物足りない感は否めない。特に、新潟市は駅の東側へ街が延び始めており、今後の街造りの観点からも、在来線の高架化は避けては通れないかもしれない。
 ↓高架化の新幹線駅舎と高架化工事を待つ在来線ホーム
 この在来線高架化事業は、金沢・小松・福井・富山の在来線高架化と違い、駅周辺が過密化した中での高架化事業であり、移転家屋や仮設ホームの設置、更に駅前周辺整備も巻き込んだ、ワンランク上のスケールになりそうだ。
これまでも、角栄遺産による都市基盤整備が進んで来た新潟市。これからは、政令指定都市として「ひとり立ち」した都市整備が始まる予感がする。大人になった都市造りとでも言えば良いだろうか。「都市を改造する」このプロジェクトが、成功するかしないか。それは、政令市となる新潟市の力量を問われているとも言えるのです。
 そして、日本海側初の政令指定都市「新潟市」として、果たして北陸の他都市に、大きく水を開けることが出来るのか。ますます新潟市の動向から、目が離せなくなったと言えるでしょう。

 さて次回は、新潟政令市誕生PART2「将来性の死角」と題して、新潟政令市のウィークポイントを探ってみたいと思います。
2003.3.15作成
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