信州長野県の県都「長野市」。ここは、千四百年前の善光寺創建から"仏都"として繁栄してきた。善光寺は、阿弥陀如来が祀られた無宗派の寺である。天台宗と浄土宗が共同で寺の管理するという、大変珍しい形態をとっている。善光寺には、江戸時代から善光寺参りと呼ばれ、多くの信者が参拝に訪れる観光都市であった。今日でも、多くの観光客が、この地を訪れる。特に、7年に一度行われる善光寺前立本尊"御開帳"には、全国から500万人以上の参拝者を集めるという大きな行事が行われる。現在の善光寺は、江戸時代(1707年)に再建されたもので、本堂などが国宝に指定されている。また歴史的に見ても、長野は戦国時代の舞台ともなっている。越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄が、長野の川中島で幾度となく激突した。信仰心の高い人たちが多い、当時の武将にとっては、諏訪大社・善光寺などを有する信州という土地は、魅力的な場所であったのかもしれない。江戸時代は、松代藩が置かれ、歴史上で名を残す真田家が、10万石を納めていた。松代藩では、文武学校をつくり、学問・武術に力をいれてきた。幕末時には、佐久間象山が活躍。軍事問題から電信の実験といった科学的な分野など多岐にわたる功績を残している。今日、長野県が教育県と言われる一因を成していると言えよう。更に、敗戦濃厚な太平洋戦争末期には、本土決戦に備えて、旧日本陸軍が日本の首都を松代の山腹へ移そうという計画があるなど、歴史上でたびたびこの地は登場することとなる。
 このように北信越の中でも、これだけの優良な観光資源を有してる都市はない。そして、現代1998年。念願だった長野オリンピックが開催された。日本の長野が、世界の長野になったのである。オリンピックが続く限り、世界の歴史に残る都市で有りつづける。また、これまで交通インフラで全国レベルから大きく取り残されていた長野市は、オリンピック開催で一気に全国トップレベルまで整備されたのである。しかし、これは長野の都市化とともに大きな負債をも抱える事ともなった。長野市の人口は、現在36万3千人あまり。20年前までは、富山市と同規模(30万人)だった人口は、富山市を引き離し現在4万人の差を付けている。

 今回の特集は、五輪で国際都市になった長野市の現状を探ってみよう。
 長野オリンピックは、1980年後半のバブル期に計画された。その為、施設規模内容とも大変豪華なものとなる。実際に、誘致開催が決まったのが1992年。バブル期は、終わりを告げようとしている時期である。国際イベントであり、計画を変更させる事は難しい状況となっていた。
 競技施設は、ビッグハット・エムウェーブ→・ホワイトリング・アクアウィング・スパイラル・長野オリンピックスタジアムなど、通常の地方都市としては考えられない巨大な構造物が5年あまりで次々と造られていったのである。
 また、もともと長野市周辺は、県庁所在地としては交通インフラが、大変遅れていたのだが、こちらも突貫で整備されていく事となる。
 地方公共事業の三種の神器として良く言われるのが、"空港""高速道路""新幹線"。県庁所在地の長野市には、1990年代後半まで、三種の神器がひとつもない状況であった。しかし、オリンピック開催決定とともに、新幹線と高速道路が、長野市まで急ピッチで整備されることとなる。特に北陸新幹線は、建設中だった高崎ー軽井沢間を長野駅←↓まで延長することとなり、長野市はオリンピック開催と同時に、高速交通時代へと進むこととなった。空港だけは、ライバル松本へ譲ることとなるが、こちらも滑走路延長によるジェット化を果たしている。
 市街地は戦災や天災も少なかった事もあり、昔ながらの狭い道しかなかった。実際、1990年代まで、市内を通過するまともな幹線道路は国道18号線しかなく、こちらもバイバス4車線化が出来上がったばかりと、渋滞が絶えない状況だった。しかし、オリンピック道路が次々と整備され、一般道路も、ほかの県庁所在地と見劣りしないレベルまでに達することとなる。
 そして長野市の都市景観も劇的に変わっていったのである。
 オリンピック開催に合わせて、駅周辺も整備され、ホテル・オフィスビルが増加。これまでは、善光寺参りの観光客がほとんどであった入り込み客は、ビジネス客や催事客の増加で、様変わりしつつある。
 オリンピック施設は、その後、大型展示場や野球場などにリニューアルされ有効利用されている施設もあるのだが、維持費は年間100億円以上掛かる状況であり、長野市や長野県の財政を圧迫することとなった。大型公共事業の増加などもあり、県債残高が1兆円規模になるなど、大変厳しい状況に陥っている。そしてこの事は、その後の田中康夫長野県知事誕生へと繋がっていく事となるのだ。
 巨額な負債を抱えながらも、人口36万都市とは思えない都市整備を実現。都市規模としては50万都市レベルと言えるだろう。オリンピック開催は、市民にとってプラスだったのかマイナスだったのか?。プラスは都市化、マイナスは負債。都市化は借金をすれば出来るという見方もあるだろう。しかし五輪効果は、それ以上だと考える。
 オリンピックを開催するから出来る身の丈以上の整備があるからだ。例えば新幹線や高速道路。五輪開催がなければ、バブル崩壊という余波で、完成は大きくずれ込んでいたであろう。"出来る時には無理をしてでもやる"というのは、間違いでは無いと考える。
 無いのとあるのでは、やはり大きな開きが出てくるのだから。特に、新幹線はいま長野終点である。"終点効果"という特需が、長野市には向こう8年程は受けられるのだ。交流人口が長野市を軸に動く利益は大きい。
 東京から新幹線で最速80分程。日帰りで気軽に遊びに来れる都市になった事も大きい。時間的な距離感は、完全に首都圏化されたと言えるのです。これまでは、一地方都市だった長野市が、これからは首都圏経済として、ビジネスターゲットとなるのです。例えば、商業界の首都圏展開の際には、長野市が首都圏都市として組み込まれて行く可能性があるからだ。長野市が、これまで体験しなかった経済活動が、拡がり始めようとしている。
 またオリンピック開催のプラス効果は、インフラ経済だけではない。やはり、市民の精神面にもプラスだったと考える。日本には、五輪開催都市は3つしかない。オリンピック都市である"誇り"。五輪開催年には必ず、自分達の街には、五輪マークの競技施設があるという"プライド都市"を感じるのである。これはマイナスではないはずだ。
 あとは、五輪開催都市のプライドを、更にプラスへ結びつけていく必要がある。それは市民レベルでの取り組みとなろう。自分の都市に自信を持って、更に良くしたいと思い行動する市民活動が増えれば、千四百年都市は、二千年都市へと成長させると考える。
 長野市は、善光寺というとてつもない優良な観光資源を有している。観光客は、週末はもとより平日でも多くの人が訪れる。仲見世通りが、これほど賑わう地方都市は、そう多くはない。
 長野市では、23年前に善光寺"御開帳地に合わせて、中心市街地の新設道路整備と、地下鉄(長野電鉄)を開通させている。政令指定都市以外で、地下鉄を保有しているのは長野市だけである。地下鉄区間(長野電鉄)は約2キロと規模的には小さいものの、この存在感は、長野市経済に大きなインパクトを与えている。今でも、地下鉄延長を求める声が絶えない。この地下鉄は、ミニ規格やリニア鉄道ではなく、通常の在来鉄道が走っている。
 地下鉄が走る新設道路→には、NTTドコモビルや生保損保系オフィスビル、長野電鉄系の商業ビルなどが立ち並び、途中市役所近くも通るなど、新しい駅前通りとして発展しつつある。15分間隔ほどで運行される長野電鉄。善光寺下駅で降りれば、善光寺まで700メートルほど、ちょっと距離はあるものの、都心軸としての十二分な交通機関と言える。
 政令指定都市であれば、新交通システムの建設費は、約半額が国から補助を受けられるのだが、長野市は、人口30万規模の中核市。国からの補助金は受けられない。そこで長野市は、慢性的な渋滞となっている中心市街地の道路問題と組み合わせたアイデアを打ち出したのだ。
 新設道路と鉄道の連続立体高架化事業を組み合わせることで、長野電鉄の地下鉄化を実現したのである。実現までには、住民理解と家屋移転など年月と関係機関との調整問題があったのだが、全国に先駆け、いまだに地方中核都市では真似が出来ない事業を達成したのである。
 しかし、長野市の都市交通は整備が、かなり進んだと言え、まだ問題も多い。例えば、長野駅は新幹線も非高架で乗り入れている↑。街が、東西で分断され、また駅東口周辺の道路整備も遅れている状況だ↑。長野駅は、橋上駅化され、東西の自由通路も整備されているが、駅利用客や東西往来する際には、アップダウンしなければならず、年配者が多いという善光寺の観光客層を考えても、大変不便と言わざるを得ない。同じ方式規模の高岡駅整備は、十分、長野駅を参考にして、内容を再検討する必要があるだろう。
 また、駅駐車場も少なく感じられる。駅裏には新設の駐車場が多いのだが、県外観光客にはわかりにくく、駅を跨いで裏側へ行くのも大変である。市街地側の駐車場も点在し規模も小さく、今後改善が必要であろう。
 観光都市として発展してきた長野市。長野駅から善光寺までの約2キロの間が、中心商業地としてこれまで栄えてきた。その中でも、商業ゾーンが4つに分かれる。東急百貨店↓・ファッションビルMIDORIを中心とした駅前地区、イトーヨーカドー←とアーケード通り←を中心とした権堂地区、観光客をメインとした善光寺前の仲見世通り、そして衰退が最も進んだ新田町地区。
 この新田町地区は、ちょうど長野駅と善光寺の中間に位置し、更に県庁と市役所の中間に位置するという、まさに長野市街地の中心的な地域である。かつてここには、新田町交差点を挟んで"そごう百貨店↓"と"ダイエー↓"が、栄華をきわめていた。しかし、国道18号バイバスや郊外の道路整備が進む中、新田町地区は、鉄道路線からは外れ、モータリゼーションの流れからも取り残され、観光地域からも遠いという不便な商業地域となっていったのである。
 ダイエーは、ビックハットの隣り、郊外の若里地区へ移転し、そごうは本体の破綻とともに閉店へと追い込まれていった。地理的にみれば、長野市のど真ん中に位置しながらも、中心地で最も衰退したゾーンとなっている。
 ほかの地区も、決して良い状況とは言えない。権堂地区のアーケード街も、古い店舗が多く、空き店舗が増えてきている。駅前地区と善光寺前は、まだ観光客やビジネスマンが往来する分、活気はあるように見受けられるが、以前に比べれば物足りなさが感じられる。
 特に、感度の高い若者層は、新幹線を利用して東京へ買い物に行く割合が増えてきている。ファッションなど都市ステイタスとも言える高級品は、東京で購入、安い日用品は地元でとなれば、中心商店街はますます厳しくなっていくだろう。更に、郊外の"黒船"大型店が今後増えてくれば、中心地は壊滅状態になる可能性もある。保守的な長野では、これまで、外部資本を拒んできた傾向があるが、オリンピック道路の整備で、郊外店が乱立できる環境は整いつつある。
 中心市街地を、今後どう守って行くのか。長野市の対応が注目されるところだ。ひとつの戦略として考えられるのは、新潟県上越市や白馬町をターゲットとした市外客の取り込みである。特に上越市から見ると、長野市の商業地は品揃えや規模で魅力である。新幹線が出来れば、上越から長野までは15分程。上越から東京へ遊びに行く人も出てくるだろうが、買い物なら長野で十分というユーザーも多くいると考える。"人が集まって来易い環境づくり"を、いかに構築できるかがポイントとなろう。
 それでは"人が集まって来易い環境"とは、どういうものが考えられるのだろうか。
 このサイトでも、何度となく言ってきたことではあるが、ひとつには、高い駐車料金(交通費)を払ってでも、欲しくなるものがあるのか。そして、街にエンターテイメント性を持ち合わせているのか。ほかにも要点はいくつもあるだろうが、まずは、この2点を押さえる必要がある。
 長野市には、千四百年という善光寺文化がある。これを上手く使えば、単なる観光資源ではなく、エンターテイメントの要素を街に与えることが可能になると考える。善光寺自体が、もともとエンターテイメント的な要素をもっている。江戸時代から、庶民的な寺院として、全国から参拝者がやってくる。訪れる参拝者は、善光寺ならではの、現代でいうアトラクションを楽しむことができるのです。例えば、戒壇巡り。暗黒の回廊を巡って、死後の世界を再現、回廊の途中にある極楽の鍵に触れることで、善光寺の如来様と結縁しご利益を戴く。また、経蔵。八角の輪蔵を手で回すことで、一切経六七七一巻を読んだのと同じ価値があると言われる。この他にも、お数珠頂戴など、遠くから訪れた参拝者を満足させることが出来るお寺なのです。
 長野の商業地に求められているのも、同じような要素ではないでしょうか。
まずは、メインの商業ゾーンを駅前周辺と善光寺前の仲見世通りに絞り込み、高級品・ファッション雑貨などをメインとした街づくりは駅前に集中させる必要がある。東急百貨店を軸に、レイアウトの再構築を図る。そのキーワードは歩いて楽しい買い物が出来る街。回遊性のあるオープンモール化を目指して、景観造りから検討する必要がある。また、訪れた買い物客や観光客が確実に、善光寺前の仲見世通りまで誘導するために、地下鉄の善光寺下駅から善光寺前まで、約500メートルほどの路線延長を行う必要があるだろう。もし路線延長が実現すれば、地下鉄利用者は間違いなく増加する。街づくりも、地下鉄を意識した造りに改造する。駅前であれば、駅前のMIDORIから東急百貨店までの間をミニ半地下街で、オープンテラスのような地下鉄コンコース化を図り、駅も街の一部とする必要がある。また、善光寺前側の新駅でもバリアフリー化を行い、出来れば地上駅化することで、お客さんが電車を見て乗ってみたいと思う駅舎を考えるのが重要ではないだろうか。このような景観都市づくりは、一種の欧州型と言えるかもしれない。お客さんを招くための街造り。当然の事が、これまで出来ていなかったと言えるだろう。
 長野県庁←は、田中康夫知事になってから、大きく変わろうとしている。脱ダム宣言・公共事業の一般競争入札・県名変更構想・知事の泰阜村への住民票移動問題など、多くの話題と課題を提供してきた。これまでの知事であれば、オリンピック誘致のように長野市と近い行動をとってきたのだが、今は違う。田中知事は、長野市から一線を引く政策を行っているのです。県庁の動きは、一種の"脱長野市"のようにも見える。
 長野県は長野という名称はついているものの、やはり歴史的過程からみると、南北(長野・松本)に分裂した県と言える。
 以前に比べると、長野県における長野市の地位は、インフラ面でも経済面でも、県都として十分な力を持ち合わせて来たと言える。しかし、ここに来て、松本側からの反抗ではなく、県庁からの反抗という思いもよらない状況になってきた。これに対して、長野市は独自の道を模索し始めているように思える。公然と市のホームページで、県知事の住民票移動問題を取り上げるなど、県知事への対抗を鮮明にしているのだ。政令市など、力の持った市などでは、県への対抗意識が強いのだが、長野市でも、今後は独自の施策を進めて行くことが予想される。それは、都市の成長と見ることも出来るのではないだろうか。決して悪いこととも、思えない。
 更に長野市は、周辺市町村との合併により、都市化を進めることが考えられる。当初、長野市は豊野町との合併協議を進めてきたが、その後、周辺都市に波及し戸隠村・鬼無里村・大岡村が加わり、1市1町3村からなる任意合併協議会が立ち上がっている。来年2005年1月には、人口38万人の(新)長野市が誕生する。人口はさほど伸びずに、村を中心とした山間部を多く抱え込むことにはなるが、合併特例債を多く獲得できるなど、メリットもある。どのように活用していくのか、注目である。特に、戸隠村・鬼無里村は、白馬町へ抜けるルートにも位置する。合併優先道路として、現在の狭くて危険なアクセス道路を、大幅に改善することも考えられるだろう。そして、この合併が評価されれば、次へのステップも考えられる。それは、隣接する須坂市・千曲市との融合化。もし両市と合併できれば、人口は50万を超えることが出来るのです。現状の政令指定都市は、法律では50万以上となっているが、実際には70万以上が指定される為、政令市にはなれない。しかし金沢市などでは、法律通りに人口50万で政令市になれるよう求めている都市もあり、長野市も政令市の可能性が出てくることとなる。
 インフラ整備も山を越え、50万政令市(あるいは準政令市などの新しい基準ができるかもしれない)になれば、長野市は、正真正銘の県都として、ライバル松本市に差をつけ、県庁にも対等に物を言える都市に成長することが可能となるだろう。今回の市町村合併は、最初のステップと言えるのではないだろうか。
 仏都として栄えた門前町"長野市"。これから新幹線が来る北陸にとっては、大いに参考になる都市である。特に、次の新幹線終点駅となるだろう金沢市にとっては、共通的な課題が多く、政令市問題も含めて交流が活発化することが予想される。道州制問題もあり、新潟市などとも交流・競争が予想される。
 当サイトでは、都市間競争で確実に富山県は埋没すると警鐘してきましたが、いまだに、小さな改革変化で、大きな評価満足をする状況が続いている富山県。後悔をしない長期的な戦略的施策を、隣接都市を参考に、今一度、真剣に検討してもらいたいものだ。
都市名 人口 面積
長野市 364,301 404.35
豊野町 10,331 19.9
戸隠村 5,011 132.76
鬼無里村 2,267 135.64
大岡村 1,546 45.86
<合計> 383,456 738.51
2004.7.10作成